光学活性スピロ化合物の触媒的不斉合成への活用

スピロ化合物とは、二つの環が一つの原子を共有した化合物の総称であり、合理的な分子設計によりその骨格にキラリティーを導入できます。すなわち、不斉原子を持たずとも置換基の適切な配置によりスピロ原子がキラル中心となります(図1)。

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図1.キラルスピロ骨格

このような光学活性化合物は、今までキラルテクノロジーにて多用されてきた軸性キラリティーを有する化合物とは異なる特性が期待できるため、次世代のキラル源として注目を集めています。その高い剛直性から誘起される効果的な不斉環境はラセミ化の懸念がほとんど無く、様々な分野への利用が期待されています。我々のグループは光学活性スピロ化合物の潜在的な可能性にいち早く着眼し、新規機能性キラルスピロ化合物の開発や精密有機合成への応用を通して、それらの有用性を世界に先駆けて明らかにしてきました。
現在、本テーマに即した以下の研究を展開しています。

1. スピロビスイソオキサゾリン配位子(SPRIX)の開発と機能
2. 有用なスピロ型キラル配位子の探索
3. スピロ型イオン性液体の創製
4. キラルスピロ骨格のエナンチオ選択的構

1.スピロビスイソオキサゾリン配位子(SPRIX)の開発と機能

当研究室が開発したSpiro bis(isoxazoline)配位子(SPRIX)は、上記の特長を有するキラルスピロ骨格と、これまで配位部位として研究例の無かったイソオキサゾリンを併せ持つ独創的な配位子です(図2)。

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図2.キラル配位子SPRIX

遷移金属、なかでもパラジウムとの親和性に優れ、酸性や塩基性および酸化的条件下でも極めて安定であるため、不斉Wacker型環化反応に効果を発揮します(図3)。例えば、アルケニルアルコール 1 を用いた反応では6-endo-trig型環化が進行し、光学活性ピラン誘導体 2 が高収率で得られます。これは、アルケニルアルコールを基質とした触媒的不斉Wacker型環化反応の初めての例です。また、ジアルケニルアルコール 3 を用いると分子内環化が連続で起こり、二環式生成物 4 を最高95% eeで与えます(J. Am. Chem. Soc. 2001, 123, 2907.)。

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図3.不斉Wacker型環化反応の例

さらに、ごく最近、SPRIX不斉PdII/PdIV触媒反応における有効性を見出しました。PdII/PdIV触媒反応では、系中で生成したPdII中間体を強力な酸化剤の作用により特異な反応性を示すPdIV種へと導くことで、従来のPd0/PdIIサイクルでは達成できなかった変換を可能としています。そのため、近年の精密有機合成の分野で脚光を浴びている新しい触媒反応です。しかしながら、酸化条件下で不安定な既存のキラル配位子ではエナンチオ選択的反応への展開が困難でした。我々は、SPRIXの酸化に対する高い安定性を活用し、世界初となる不斉PdII/PdIV触媒反応の創出に成功しました。すなわち、PdSPRIX錯体触媒によるエニン化合物 5 の環化が超原子価ヨウ素酸化剤存在下で円滑に進行し、ビシクロ[3.1.0]ヘキサン骨格を有するラクトン 6 が高収率、高エナンチオ選択的に得られることを明らかにしました(図4)。本反応で得られたラクトン生成物6は、生理活性物質の鍵合成中間体としての利用が期待できます(J. Am. Chem. Soc. 2009, 131, 3452.)。

PdIV
図4.世界初の不斉PdII/PdIV触媒反応

上記の例では、既存のキラル配位子(BINAPBOX()-sparteineなど)を用いても、反応がエナンチオ選択的に促進されないか生成物が全く得られません。これらの結果は、他のキラル配位子には見られないSPRIXの特異な性質を端的に示しています。

 

2.有用なスピロ型キラル配位子の探索

SPRIXの優れた機能性を受けて、より有用なスピロ型キラル配位子の探索や効率的合成法の開発を行っています。これまでに、イソオキサゾリンとイソオキサゾールを配位部位として併せ持つキラルスピロハイブリッド型配位子の開発に成功し、その特異な配位能と剛直なスピロ骨格が形成する不斉環境の有用性を明らかにしました(図5Tetrahedron: Asymmetry 2007, 18, 919.)。

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図5.キラルスピロハイブリッド型配位子の開発

金属触媒カップリング反応を機軸としたキラルスピロハイブリッド型配位子のダイバージェント合成を試み、多様な置換基を有する光学活性ハイブリッド型配位子の効率的創製にも成功しています(図6Tetrahedron: Asymmetry 2008, 19, 2492.)。

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図6.キラルスピロハイブリッド型配位子のダイバージェント合成

キラルスピロ型配位子の不斉合成にも挑戦しています。最近では、キラルなアルコールを出発物質とした合成法を開発しました(図7Tetrahedron: Asymmetry 2010, 21, 379.)。

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図7.キラルスピロ型配位子の不斉合成

 

3.スピロ型イオン性液体の創製

環境低負荷型不斉反応プロセス開発に重要な光学活性イオン性液体を設計し、スピロ骨格にイミダゾリウム塩、ピリジニウム塩およびアンモニウム塩を導入した新規有機塩の合成に成功しました。得られたイミダゾリウム塩の中に室温で液化する有機塩を見出しました(図8Org. Lett. 2006, 8, 227; Tetrahedron 2007, 63, 12702.)。

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図8.スピロ型イオン性液体の創製

 

4.キラルスピロ骨格のエナンチオ選択的構築

精密有機合成における有用性が報告されて以来、光学活性スピロ化合物の需要は増加の一途を辿っています。そのため、煩雑な光学分割を必要とする従来の供給法に代わる、効率的な新規合成経路の開発が課題となっています。当研究室では、実用に即した光学活性スピロ化合物をより簡便に得るため、触媒的不斉合成の利用を検討しています。これまでに、分子内ダブルBuchwaldHartwigアミド化を鍵反応としたスピロビラクタム 7 の効率的不斉合成を開発しています。光学的に純粋な 7 は、出発原料である1,3-ジメチルバルビツル酸から僅か三工程で得られます。各段階ともクロマトグラフィーによる精製を必要とせず、生成物は再結晶操作のみで簡単に単離できます(図9Org. Lett. 2009, 11, 1483.)。

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図9.キラルスピロビラクタムのエナンチオ選択的合成