「結晶表面上の原子ステップ」とは結晶表面上に存在する原子層の段差 の事で、結晶表面の一種の欠陥構造である。この分野に馴染みのない人にとっては、 研究の対象としては非常にマイナーなものであるような印象を受けるかもしれないので、 結晶表面上の原子ステップを研究する事について、私の考える意義をここで述べる。
はじめに、ステップが研究されてきた背景を大雑把にまとめてみる。 まず、結晶成長の標準モデルと言われるBCF理論では、ステップが表面上の吸着原子の 吸い込み口となって結晶が成長するモデルを考え、ステップの前進する速度 を通じて結晶の成長速度を与えている。この理論は多くのステップフローモードでの結晶成長を 定量的に説明することに成功している。分子線エピタキシー等の実際の 結晶成長技術では、ステップフロー成長する条件で結晶成長させることによって、 原子レベルでの制御を実現している。従って、結晶成長技術において、 ステップでの結晶化カイネティクスの理解は非常に重要な問題と認識されてきた。
もう一つの流れは、結晶のラフニング温度以下の有限温度における平衡形を統計力学で議論するうえで、 ステップ多体系の振る舞いが研究されてきたことが挙げられる。それは、ラフニング温度以下では、 ファセット近傍の結晶表面は低指数面テラスとステップによって形成されており、 表面自由エネルギーの面方位依存性は、ほぼステップ形成自由エネルギーやステップ間相互作用によって決 まるからである。そこで結晶表面の原子欠陥等のミクロな構造を粗視化し、ステップ構造のみを自由度とた テラス・ステップ・キンク(TSK)モデルの解析が行われている。
1990年代になると、反射電子顕微鏡や走査トンネル顕微鏡等の表面観察技術の発達により、 結晶表面のステップの形状や運動が実験的に調べられるようになり、ステップの挙動に 関する理論予測を実験的に確認できるようになってきた。そして、ステップを構成単位とした 表面モデルが、多くの実験結果を説明するなかで、その有効性が実証されてきている。 私自信、実際にSTMで結晶の表面構造を観察してみて、メゾスコピックスケールの構造になると ステップを構成単位とみる考え方が自然であり適切であるということを実感してきた。 今では、ステップは、結晶表面の構成単位として本質的なもであると考えている。
ステップの研究の現状であるが、基本的な理論の枠組みはかなり 完成されているように感じる。 今後の研究の展望であるが、ひとつは分子論的な方向を考えている。 表面構造の時間発展について考える時、原子過程について仮定すれば、 連続体ステップモデルで時間発展微分方程式を記述することができる。 しかし、実験結果を解釈する時、原子過程に関して行っている仮定が実際の実験系において妥当で あるという根拠が常に乏しいように感じられる。これは、表面拡散などの原子過程が実験的に観測できない ためである。そこで、現実の結晶表面でステップが運動している時、どのような原子過程が起こっている のかを何とかして調べてみたいと思っている(実験で直接調べるというアプローチでは厳しそうだが)。
もう一つの残された問題は、極端に非平衡な状況でのステップの挙動である。 連続体ステップモデルによるこれまでの議論は、基本的には平衡状態に近い状況を想定して いる。平衡状態から大きくはずれた時に、 これまでの理論の枠組みでは説明できないような新しい 現象がみつかるのではないかと期待している。