当研究室の沿革

1941(昭和16)年1月24日:
燃料部門が発足。初代教授として堤繁が着任。
1942(昭和17)年:
東京大学農学部(オリザニン(ビタミンB1)の鈴木梅太郎研究室)より二國二郎が研究員として赴任。
1944(昭和19)年:
二國二郎が2代教授として昇任。小幡弥太郎教授(北海道大学名誉教授)と共に、二國・小幡研究室として運営。
1963(昭和38)年:
食品化学部門に改組。
1970(昭和45)年:
福井俊郎が3代教授に昇任。
1995(平成7)年:
生体触媒科学研究分野に改称。
谷澤克行が4代教授に昇任。
2015(平成27)年:
生体分子反応科学研究分野に改称。
黒田俊一が(名古屋大学大学院生命農学研究科 産業生物工学研究分野 教授)5代教授に着任。

当研究室担当教授

二國二郎は、東京大学在任中は主として天然物有機化学の研究を行ってきたが、本研究所着任後は、デンプンを主とする炭水化物の生物化学研究に移行した。1944(昭和19)年に当時の日本海軍の要求により尾西食品と共同でアルファ化米を開発した。第9代産業科学研究所所長。当研究室から、芦田淳(名古屋大学元学長)、原田篤也(大阪大学名誉教授)、八木一文(神戸女学院大学元学長)、不破英治(大阪市立大名誉教授)、松橋通生(東京大学名誉教授)、桧作進(鹿児島大学名誉教授)などの人材を学会に送り出した。

福井俊郎は、前任者二國二郎の指導のもとに主としてデンプンの構造と生合成の研究を行っていたが、教授就任後はデンプンを含む多糖類の代謝に関連する酵素の研究を行った。特にホスホリラーゼの構造と機能に関する研究で世界的に注目された。また、ピリドキサールリン酸(ビタミンB6)と各種ヌクレオチドの縮合物を使用して、多くの酵素のヌクレオチド結合部位の構造解析を行い、酵素のリデザインするタンパク質工学的研究に発展させた。第17代産業科学研究所所長。

谷澤克行は、京都大学化学研究所の左右田健治教授の元で、キヌレニナーゼ、ラセマーゼ、アミノ酸デヒドロゲナーゼ、アミノ酸トランスアミナーゼなどの微生物由来酵素の構造と機能に関する研究を行っていたが、教授就任後はタンパク質(アミンオキシダーゼ、キノヘムタンパク質アミンデヒドロゲナーゼ等)にコードされているアミノ酸残基が翻訳後修飾反応により自発的にキノン系補酵素に変換される機構、および同補酵素を含む環状ペプチドの生合成機構を結晶構造解析に基づいて行い世界的に注目された。