分子化学

家 裕隆(ソフトナノマテリアル研究分野 准教授

※第8回(2018年12月取材)、2019年4月より同分野 教授

 窓に貼る有機薄膜太陽電池、自ら発光して高精彩な画像をつくる有機 EL(エレクトロルミネッセンス)。エレクトロニクス(電子工学)の分野で炭素(C)を含む有機化合物を使った半導体が、いま主流のシリコン(ケイ素)半導体の不得手な領域に進出して、軽く、薄く、柔らかいといった特性を生かす研究開発が世界中で進んでいる。中には、次世代の製品として実用化されるケースも出てきた。

 こうした有機デバイスの材料を化学合成する研究について、家准教授は「分子のデザイナー」と位置付ける。個々の分子の立体構造を独自に設計し、それらの分子を組み合わせるなど「ボトムアップ」の手法で性能を格段に向上させられるからだ。これまで作製が理論上不可能と言われたユニークな分子構造の有機化合物の合成に挑んで成功してきただけに「優れた機能を持つ分子は美しい形をしています」との思い入れがある。

 最近の家准教授の研究の中で、有機薄膜電池の性能向上に関する成果を紹介しよう。

 光を電気に変換する活性層は有機半導体材料で構成されている。この半導体材料の物性を調節するために電子受容性ユニットを導入することがカギとなる。電子受容性ユニットとして広く使われている「ナフトビスチアジアゾール(NTz)」という有機分子に、電子を引き寄せる力が全元素中で最大のフッ素(F)原子を結合させれば、発電力が高まる、と盛んに研究されたが、有機合成の困難さから実現していなかった。

 そこで、家准教授は、これまでフッ素と炭素の化合物を多く合成した実績を踏まえ、独自の合成法を確立したうえで、世界で初めてフッ素原子を含む「FNTz」を得ることができた。そして、その分子は大幅に機能が強化されていることが分かった。着手から1年以上かけての「粘りの合成」のなせる技だった。

 また、結晶化した材料に比べ、分子の配列が無秩序なアモルファスの材料の性能は劣るとされていたが、アモルファス材料の分子構造を均質化することにより、光電変換効率9.12%と、この材料の世界最高レベルに達することも明らかにした。「アモルファスの材料は簡便に塗布して成膜できるので、太陽電池の大面積化などに役立つでしょう」と活用されることを期待する。

 このほか、分子単独でエレクトロニクスに使う分野では、1-10ナノメートルサイズで長さを作り分けられる導線や、金属電極と接合できる三脚型のユニークな構造の分子を開発。密度の限界に来たICチップの電子回路の作成に突破口を開くなど次世代の課題を見据えた成果がある。

 「有機合成の研究では、合成した分子の材料としての性能で1番を競うことは大切です。しかし、むしろ、結果が出てからスタートし、その物質の性質などについて、ネガティブなデータを含め調べることが、それまでの定説にない物質を創成することにつながると思います」と強調する。

 その点、産業科学研究所は、化学、物理、生物など多くの分野の研究者が集まり、交流が盛んなので「新たな思考回路が開かれる」と断言する。また、日本学術振興会の「頭脳循環プログラム」により、2016年にドイツのマックスプランク研究所で研究した際も、「物理学の考え方でデータを解析するという方法に目が開かれた」といい、現在も共同研究を続ける

 「何にでも興味を持ち吸収する」とう信条は、家庭生活でも変わらず、頻繁に家族旅行に出かけては、見聞を広めている。

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加藤 修雄 (医薬品化学研究分野 教授

※第1回(2016年6月取材)、2017年3月に定年退職

 高齢社会で急増するがんの治療薬の創成に取り組んできた。そのシーズに成り得る天然の低分子化合物を探索し、有機化学合成の手法を駆使して抗がん活性など生体内での作用機構解明に挑んでいる。

 細胞内の情報は、さまざまなタンパク質がリン酸化されるなどして伝わり、その制御は「14-3-3」というタンパク質などが担っている。加藤教授は、それらの相互作用を増強することで、がん細胞の増殖が抑えられるとの発想で研究を重ねた。

 そこで、抗がん活性がある「コチレニン」や「フシコクシン」という低分子の有機化合物(ジテルペン配糖体)に着目し、マウスを使った実験を行った。その結果、卵巣がんに対しては、コチレニンとインターフェロンαを同時に投与することで、がん細胞の増殖を劇的に抑えられた。また、フシコクシンなどの誘導体も肺がんやすい臓がんに対して効果があった。これらの分子が「14-3-3」を介してリン酸化されたタンパク質とともに安定な会合体を作ることで抗がん活性を発揮しているとみられ、創薬に結びつく可能性がある。

 一方、インフルエンザやデング熱など感染症に対して迅速に診断できる技術も手掛けている。開發邦宏・特任准教授らは、ウイルスのタイプ(血清型)に特有の塩基配列を直接、対応する配列により検出し、発色で可視化する新たなPNA(ペプチド核酸)クロマトグラフィーの作製に成功した。ウイルスを界面活性剤で壊し、そのまま基盤上に流すだけの簡便な方法なので15分で結果が出る。新型インフルエンザウイルスのタイプや薬剤耐性の有無がわかるほか、デング熱ウイルスの重症化要因に関係する血清型診断などへ応用を広げる研究を進めている。

 このような時代に即したテーマを扱うが、加藤教授は「テーマを最もよく知るのは学生自身との自覚と責任を持ってほしい」と励ます。オフの時は、愛らしいダンゴウオの飼育でもやってみたいと考えている。

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安蘇 芳雄 (ソフトナノマテリアル研究分野 教授

※第1回(2016年6月取材)、2018年3月に定年退職

 太陽電池などエレクトロ二クスの製品に広く使われているシリコン半導体を、しなやかで軽く、低コストの有機物の半導体に替えるという次世代の技術革新の波が大きく広がっている。実現するには、材料になる有機物質の電子や光に対する機能を分子のレベルで解明して自在に制御できるような知識や技術の基盤づくりが必要だ。

 安蘇研究室は基礎研究を重ねるとともに、分子を設計して優れた機能を持つ有機分子を開発し、薄膜の半導体や1分子の段階でも使える分子エレクトロニクスへの応用を目指している。

 炭素を含む有機物質は基本的に絶縁体だが、二重結合している炭素の電子軌道には、分子間を自由に移動できる「π(パイ)電子」が含まれる。この電子の性質を利用した「共役π電子系」を拡張すれば、半導体などの機能が増す。

 安蘇教授の最近の成果は、真空蒸着や塗布で作製する有機電界効果トランジスタという半導体の材料を分子設計し、大気のもとで性能の目安となる電子移動度について独自材料で最高水準を達成したこと。n型という電子を供給する受け取る(あるいは「流す」)側の半導体で、炭素原子5個か6個が環状に結合した骨格を持つ芳香族化合物を縮合し、フッ素化合物の分子基を付け加えるなどして調整した。また、有機薄膜太陽電池の有機半導体についても高い光電変換効率を出せた。優れた材料の炭素化合物「フラーレン」を使う研究も進める。

 「材料の分子の細部を改変するなど調整して性能を高めていきたい。将来的には、窓や壁に張り付けて発電する有機太陽電池でゼロエネルギービルなどに貢献できたら」と期待する。「よい材料をつくってもデバイスにすると性能を発揮できないことがあります。有機化学だけでなく、物理化学、電子工学の知識も必要で、幅広い分野をカバーできる学生を育てたい」。自身は壊れた腕時計を分解して組み立てる機械いじりが好きな科学少年で、いまも日曜大工をするが「研究のアイデアはじっくり考えたときの方が出やすい」

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笹井 宏明 (機能物質化学研究分野 教授

※第1回(2016年6月取材)

 化学合成すると鏡で映したように左右対称の立体構造をとる2種類の光学異性体が混ざってできてしまうが、どちらか一方の分子が、医薬品などの原料になり得る。そこで、化学反応を極微量で促進する触媒に、有用な立体構造だけを作る不斉合成の機能を持たせる研究が行われ、省エネ、省資源、低コスト化に結び付けてきた。

 日本が世界をリードする研究分野。笹井教授は、一度に2つの物質(反応基質)の反応の速度を高めるとともに立体構造の形(配向)も制御するという触媒の「二重活性化機構」を実現することに初めて成功した。

 二重活性化機構は、触媒の分子を構成する複数の反応性が高い官能基(原子団)が協調して作用するという複雑な仕組みによって達成される。「実験で結果が予想外であるほど興味深い成果につながる」と笹井教授。開発した金属のバナジウムを含む触媒(不斉二核バナジウム触媒)は、有機化合物の「ナフトール」2分子を炭素と炭素で結合し、「ビナフトール」という光学異性体製造のキーの化合物を最高97%の光学純度で得ることができる。また、酸と塩基それぞれの性質を持つ官能基を含む有機分子触媒では、多段階の反応をドミノ倒しのように一気に進め、各段に効率を高めることにも成功している。

 さらに、分子の骨格に光学活性を導入しやすい強固な構造の「スピロ化合物」を使った多機能な触媒を作り出すなど新たな不斉触媒や反応活性化機構の研究を進める。

 笹井教授のモットーは「これを好む者はこれを楽しむ者に如かず」(論語)。司馬遼太郎の時代小説を愛読し、写真撮影、ゴルフと多趣味で研究のオン・オフを巧みに切り替えて活性化している、という。

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中谷 和彦 (精密制御化学研究分野 教授

※第1回(2016年6月取材)

 有機化学合成の視点から、DNAやRNAなどゲノム(遺伝情報)を標的にした研究を展開している。いまの主なテーマは遺伝病の治療に役立つDNAの有る特定な塩基配列の異常な伸長の修復や、次世代の医薬として注目されるRNAの機能の制御に関わる低分子を選抜する手法の開発である。

 まず、「トリプレットリピート病」といわれる遺伝病は、ゲノムの中で特定の3つの塩基の配列(トリプレット)を異常に長く繰り返すのが原因。この反復が長くなると、舞踏のような行動を起こすハンチントン病などの神経変性の難病を起こす。中谷教授らは、この塩基配列が伸びるさいの特徴的な構造に着目し、そこに特異的に結合する物質の化学合成に世界で初めて成功した。この成果が発症の機構の謎の解明に結びつくとともに、この塩基配列を短くするなどの手法で、究極の遺伝子治療を実現する研究に挑んでいる。

 また、タンパク質の生成に関わらないRNA(機能性非翻訳RNA)が、がん化など重要な生命現象に直接、関わることが知られているものの、RNAに結合する分子による機能制御など創薬につながる情報はほとんど得られていない。そこで、中谷教授らは、その現象を蛍光により検出できる簡便な方法を開発した。あらかじめ蛍光を発する指示薬をRNAに結合しておき、分子が結合すると指示薬の方がかい離して蛍光を発するので察知できる。新たな分子を数多く探索できるようになる。

 これまで核酸と低分子の相互作用の研究を続け、トリプレットに結合する分子を見つけたことが、現在の研究に結びついた。学生に対しては「自分で考えられる楽しいことに挑め」と自主性を尊重する。通勤は出来る限り自転車を使うなどバイタリティにあふれた研究生活だ。

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 大阪大学産業科学研究所は、日本を代表する総合理工型研究所として80年近く最先端の科学研究を手掛けるとともに時代に即した産学連携のあり方を提示してきた。現在は情報・量子科学系、材料・ビーム系、生体・分子科学系の3研究部門や産業ナノテクノロジーセンターなどを備える。

 今回、取り上げたのは、分子の特性を究めるとともに、新たな分子を創成する分子化学の分野で成果を挙げてきた学者たち。いずれも日本のお家芸であり、化学産業を支えてきた有機化学合成の研究が出発点だ。

 第3研究部門の笹井宏明教授(機能物質化学)は、有用な化合物の合成を高効率で進める触媒の開発に成功。加藤修雄教授(医薬品化学)は抗がん剤になり得る有機化合物をつきとめた。中谷和彦教授(精密制御化学、研究所長)は、DNAなど遺伝子に作用する化合物の合成に成功し、遺伝子治療の研究に取り組む。一方、同センターの安蘇芳雄教授(ソフトナノマテリアル)は次世代のエレクトロニクス材料である有機半導体の分子設計に挑んでいる。

 このように研究テーマは基礎から応用まで幅広く、社会の多様なニーズに対応できる。産学連携の時代に、一歩先んじて新たなシーズを産みだし、展開できる素地は整っている。

執筆:坂口 至徳

昭和50年、産経新聞社入社。社会部記者、文化部次長、編集委員兼論説委員、特別記者などを経て客員論説委員。この間、科学記者として医学医療を中心に科学一般を取材。