生体

永井 健治 (生体分子機能科学研究分野 教授

※第6回(2018年3月取材)

 化学反応で明るく光る5色のタンパク質が、生命の営みをつぶさに照らし出す。生きている細胞内の分子の働きを目の当たりに観察できる強力なイメージング(画像化)ツール「ナノ・ランタン」を世界で初めて開発した。

 ホタルなど生物の自家発光は、ルシフェラーゼという酵素タンパク質が、ルシフェリンという発光物質の酸化反応を進め、その時に生じるエネルギーを光に変えるという仕組みだ。永井教授らは、ウミシイタケを材料に、その発光器官内発光物質がエネルギーを隣接する分子に受け渡す形で効率を高めている「生物発光共鳴エネルギー移動」という現象に着目して研究を重ねた。その結果、ルシフェラーゼと、光エネルギーをもらって強く光る蛍光タンパク質を融合し、強制的に接近した形にすることにより、発光効率を10倍以上も増強することに成功した。

 蛍光タンパク質のみの発光では、強い光の照射が必要となり、細胞に傷害が出やすいという難点を解消。また、水色、緑色、赤色など5種類の光を放つ蛍光タンパク質を使い、同時に5つの微細な構造を計測できた。さらに、タンパク質複合体1個レベルでの結合や解離の状態を検出することもできた。

 この成果をもとに、生体内にできたがん細胞をマーキングして抗がん剤の効果を調べる研究や、神経伝達など重要な働きをするカルシウム(Ca)イオンの発光センサーの開発も行った。一方で、夜間に色鮮やかに光るゼニゴケも作製した。

 こうした多彩なテーマに挑む永井教授の出発点は、大学生のときに「生命とは何か?」との大命題につきあたったことだ。「なぜ、少数の生体分子で精緻なシステム制御が可能なのか」がテーマの「少数性生物学」に通じる考えが膨らんだ。そこで、受精卵の分化の過程を調べる発生学から始め、当時は夢だった「生体内の1分子の挙動を見る研究」に没頭してきた。

 研究は「一番」の成果にこだわり、新たな分野を開拓するという意味の「自我作古(我よりいにしえをなす)」(宋史)が信条だ。スキーと日本酒が好きで「常識を疑うためにはリラックスが必要ですからね」と説明した。

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西野 邦彦 (生体分子制御科学研究分野 教授

※第6回(2018年3月取材)

 抗生物質など多種の薬剤が効かなくなった病原菌である多剤耐性菌に感染する患者が急増し深刻な状況になっている。その主要な原因は、どんな強力な抗菌薬が開発されても、その薬を病原菌が細胞外に排出し、無効にする生体防御の機構を身に付けるようになってしまうからだ。

 そこで西野教授らは、病原菌が細胞膜にあるタンパク質によって抗菌薬を排出する仕組みに着目した。まず、薬剤耐性に関わる因子の遺伝子を明らかにするため、大腸菌のゲノム(遺伝情報)を調べ、薬剤を認識して排出するポンプの役割をするタンパク質の遺伝子が20個もあることを世界で初めてつきとめた。

 また、これらポンプ役のタンパク質は、宿主に対し病原となる細菌の毒素の排出を調節したり、細菌の生存に必須の鉄イオンを取り込むための分子を放出したり、低酸素の環境で細菌内に生じた自身に対する毒性物質を捨てたりと生き残るための多様な機能があることも明らかにした。

 さらに、大きな成果は、薬が入ってきたことを素早く認識し、排出のための適切な遺伝子を発現させる情報伝達システムの解明。排出関連の遺伝子を制御しているタンパク質が薬の侵入により分子の構造が変化し離れることで、その遺伝子のスイッチが入るという仕組みだった。「抗菌薬と排出タンパク質の阻害剤との併用で効果が高められるでしょう」と西野教授。

 最近では人工知能(AI)の機械学習を使い、多剤耐性菌の電子顕微鏡画像から、特有の内部構造を自動的に判別して、診断する研究や、健康野菜とされるヤーコンをもとに腸内細菌のうち善玉の効果を高めるサプリメントの開発などテーマを多方面に広げている。

 研究には「真理を追究し、先人が築いた業績に自分の知識を加えることの喜び」があるという。父親が細菌研究で知られる西野武志・京都薬科大学名誉教授(元学長)という環境や身内が多剤耐性菌に感染したことなどがあり、大学時代から、この分野の研究一筋に打ち込んできた。一方で全日本スキー連盟のバッジテスト1級を持ち、大回転が得意。オペラやミュージカルにも親しみ、文武両道の趣味を楽しんでいる。

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黒田 俊一 (生体分子反応科学研究分野 教授

※第6回(2018年3月取材)

 特定の匂いに対し、その成分分子をキャッチする鼻の嗅覚神経細胞の受容体の反応を測定して数値化する装置や匂い解析の新たな手法を世界で初めて開発した。

 ヒトの嗅覚には受容体が約400種しかないが、数十万種もある匂い物質を識別できるのは、脳が複数の受容体の反応を総合判断しているからだ。その仕組みに習い、黒田教授らは、約40万個の細胞の中から、目的の特性を示す細胞を1個だけ取り出せる独自開発のロボット「全自動1細胞解析単離装置」を使い、個々の受容体の反応を数値データとして解析し、複合してパターン化することに成功。好みの匂いを別の成分で再構成するなど困難な匂いのモノづくりを容易にした。

  「官能試験に頼らずに高価な香料を安価な成分で代替するなど幅広い応用が考えられます」と黒田教授。現在、大学発ベンチャーと共同で、有用な匂い物質を分子設計するために使う嗅覚受容体のデータベースづくりを行っている。

 このほか、B型肝炎ウイルスの表面抗原を、安全な酵母に発現させて中空のナノサイズの粒子を作り、その中に薬剤を詰めて患部に到達させる薬物輸送システム(DDS)の開発などテーマは多岐に渡っている。

 こうした柔軟で自在なテーマ選びは「大学や企業の研究者との出会いから生まれた」と振り返る。黒田教授の実家は、バイオの先達ともいえる育種・種販売業だが、遺伝子工学が盛んになったことから、大学では酵母などを使う発酵を選んだ。その後、大手製薬企業の研究所、神戸大、名古屋大など研究の舞台を変えながら、DDSの研究などテーマを発展させた。匂いの研究も「5感のうち、嗅覚だけが測定できない」との企業研究者の嘆きがきっかけになった。

 「サイエンスよりもビジネスで世の中に残る仕事をしたい」と、これまで大学発ベンチャー4社を立ち上げた。「これからは事業家と研究者が役割分担し、両者が潤う形で進めていく必要がある」と強調する。

 フランクな人柄だけに、教授室内をサロンのように仕立てて自由に話せる雰囲気を演出し、映画『男はつらいよ』のDVD全巻を備えてなごませている。

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山口 明人 (生体防御学研究分野 特任教授

※第6回(2018年3月取材)

 細菌の細胞膜にあるポンプ役のタンパク質が自身に有害な物質など異物を体外に排出する仕組みについて、そのタンパク質複合体の立体構造をはじめ、排出の仕組み、さらに、その働きを阻害する薬が結合する部位と相次いで解明した。それら多剤耐性菌の特効薬の開発につながる世界初の業績は英科学誌「ネイチャー」に4回にわたり掲載された。

 異物(多剤)排出ポンプは、異物(抗原)に対し特定の抗体がつくられて攻撃する免疫のシステムと違って、たった1つのタンパク質複合体が、多種の化合物を認識し排出する。明らかになった分子構造は、膜に開いた排出口を軸に、3つの同じ構造のタンパク質が配置されていた。それぞれのタンパク質は、異物を保持して「待機」したあと、「結合」して認識、「排出」するという3段階の過程を繰り返すが、そのさい回転ドアのように位置を変えて、一か所の排出口を効率的に利用していた。さらに「多様な異物が認識できるのは、結合する場所(ポケット)が2カ所あり、そこにさまざまな化合物の分子構造を認識できる結合部位が用意されているからです。また、異物の取り入れ口が3カ所もある前例のないタンパク質でした」と山口特任教授。

 こうした成果をもとに、院内感染で知られる多剤耐性緑膿菌(MDRP)など特効薬がない病原菌に対する阻害薬の開発に挑んでいる。MDRPが持つ2種類の異物排出タンパク質のうち、これまで阻害できず耐性の原因になっていた「MexY」を標的に、ポンプタンパク質の結合部位の解析データなどを手掛かりにして候補をしぼりつつある。

 「自然界の法則の発見は、科学者の個性の投影で、それを実験データは裏付ける」というノーベル化学賞受賞者のペーター・ミッチェル氏の言葉を引用して、「独自の発想によるストーリーを組み立て、それまでの実験データにとらわれず研究に臨むことが大切です」と強調する。自宅では、イタリア料理など食事の支度を引き受ける「主夫」を自称。「料理は生物実験のような感覚で行い、さまざまな道具や材料を使ってレパートリーを広げています」

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 生命科学の基礎研究やバイオ関連産業への応用技術の開発が急進展している。ゲノム(遺伝情報)が容易に分子レベルで解読できるようになったことをきっかけに、複雑な生命現象を解明したり、生物に有用な特性を発揮させたりできるようになった。最近では、遺伝子を効率的に改変するゲノム編集や、生体の機能を個々の細胞単位で解明する1細胞解析など有力な技術が登場している。それら新たな成果は、医学薬学、有用物質の工場生産、農業、環境など幅広い分野に、比較的短い研究期間で活用されるようになった。

 大阪大学産業科学研究所では、1995年の組織改組で設置目的として掲げた3領域のひとつに「生体・医療」を位置づけている。当時、バイオ産業は日本のお家芸である発酵の技術を応用した開発が主流で、ヒトゲノム解読の国際共同研究などが緒に就いたばかりと、分子生物学の基礎研究の成果を直接、工学など異分野と結びつけ産業化するのは困難だっただけに、時代を先取りしていた。

 今回、取り上げた研究成果は、いずれもバイオ産業の新分野を切り拓く可能性がある。黒田俊一教授は、目的の細胞を一個ずつ取り出せる装置を開発し、測定不可能といわれた匂い分子の解析を実現した。永井 健治教授は、生体の細胞内の分子の働きを観察するツールとして化学反応で5色に光るタンパク質をつくり、分子生物学の研究だけでなく光源など幅広い応用が期待される。また、山口明人・特任教授は、院内感染など深刻な問題になっている多剤耐性菌について、抗菌薬などを排出するポンプ役のタンパク質の構造と機能を解明して創薬の道を拓き、西野邦彦教授は、そのポンプタンパク質の遺伝子解析を行い、その種類や多様な役割を解明した。

 こうした研究が育った要因のひとつとして、産研が大学内外や企業に積極的に門戸を開き、交流を重ねてきたことがある。「人との出会いが大切」という黒田教授は、企業の研究所や他大学でも研究生活を送ってきたが「産研は、産学連携が盛んなので研究段階から起業を念頭に置いて研究に取り組みやすい」と評価する。これまで大学発ベンチャーを4社立ち上げた実績から日本流の起業の在り方を模索しており、そうしたことが研究成果の実用化を早めることにもつながっている。

 また、永井教授は「新分野を拓き、それが価値観の変換を起こす」研究をめざしてきた。そのために、学生時代から分野を問わず研究者の元に足を運び、交流を深めたことが功を奏した。その点から見ても「産研は他分野の研究者との垣根が低いことなどから、非常に研究がしやすい」と語る。自ら主宰して所内でジンギスカンパーティーを開くなど絶えず交流の場を広げている。

 さらに、西野教授は「これだけ異分野の研究者が集まった研究所は珍しく、特定の分野の専門家だけ集まった研究所より、はるかに触発されることが多い」と期待する。

 一方、山口特任教授は、産研所長時代(2008年―2012年)に、「知の創造、継承の場であり、よい研究環境は不可欠」と研究室の人材、スペース、研究費などを拡充する改革の方針を立てたが、国立大学法人の運営費交付金が削減されるなど現状では、すべてをかなえることは難しい。その中で、人材交流の間口が広いという良き伝統を生かすことがますます重視されていくだろう。

執筆:坂口 至徳

昭和50年、産経新聞社入社。社会部記者、文化部次長、編集委員兼論説委員、特別記者などを経て客員論説委員。この間、科学記者として医学医療を中心に科学一般を取材。