沿革 |
昭和32年(1957) |
4月 |
大阪大学の附属施設としてホットラボ(放射線研究施設)が設置された。 |
昭和34年(1959) |
3月 |
堺地区、大阪大学産業科学研究所敷地内に放射線実験所の建屋が完成した。 |
昭和39年(1964) |
4月 |
国立大学校設置法施行規則の改正により「大阪大学産業科学研究所附属放射線実験所」となる。 |
昭和40年(1965) |
4月 |
理学部よりベータトロンが管理換になる。 |
昭和43年(1968) |
3月 |
大阪大学統合計画に基づき堺地区より吹田地区へ移転した。 |
昭和50年(1975) |
4月 |
「強力極超短時間パルス放射線発生装置」が設置された。 |
昭和53年(1978) |
1月 |
ライナック棟が完成した。 |
昭和53年(1978) |
3月 |
「強力極超短時間パルス放射線発生装置」の設置が完了し運転を開始した。 |
昭和58年(1983) |
12月 |
「強力極超短時間パルス放射線発生装置」の共同利用を開始した。 |
平成元年(1989) |
12月 |
「S-バンド電子ライナック」の設置が完了し運転を開始した。 |
平成10年(1999) |
12月 |
放射線実験所将来計画が策定された。 |
平成14年(2002) |
3月 |
放射線実験所廃止 |
平成14年(2002) |
4月 |
産業科学研究所附属産業科学ナノテクノロジーセンター・加速器量子ビーム実験室発足 |
平成21年(2009) |
4月 |
産業科学研究所附属量子ビーム科学研究施設発足 |