八木 康史 (複合知能メディア研究分野 教授)
※第18回(2023年9月取材)人の歩き方から認知症の兆候を早期発見する
医療機器として事業化
人の歩く映像からAI(人工知能)の深層学習により、歩き方(歩容)の特徴を抽出して解析する。八木教授が開発した「歩容」に含まれる生体情報を推定する技術は、犯罪捜査で人物を特定するさいの歩容認証に使われているが、医療分野でも初めて実用化されることになった。認知症に進む前の「軽度認知障害(MCI)」を早期発見するための診断支援の機器(プログラム医療機器)で、スクリーニング(識別)が困難な症状だけに大きな期待が寄せられている。「歩容の解析は、遠隔から映像により、さまざまな生体情報を推定できる唯一の技術として、健康・医療の分野での利用価値が高い。その精度は、深層学習の技術の発展もあって向上しており、犯罪捜査の歩容認証の場合は、顔認証を上回り、指紋と同等になりました」と八木教授。
計算と足踏みで判定
今回の軽度認知障害を判定するシステムは、被験者に、脳の認知の機能を使う「計算」と身体の機能の「足踏み」という2種の課題(デュアルタスク)を同時に行ってもらい、脳がどこまでスムーズに課題を切り替えられるかを調べる。被験者の計算問題の回答のスピード、足の動かし方などの特徴について、AI により、研究室が高齢者施設などで集めた7万件以上の歩容映像と生体情報をセットにしたデータベースとすり合わせて解析する。この方法でのMCI のスクリーニング(識別)の性能は、医療機関で問診などにより行う標準の脳検査の結果に匹敵した。
国立研究開発法人日本医療研究開発機構(AMED)の医療機器開発のプロジェクトの一つとして、薬事承認のための応用研究を進めており、八木教授は「専門家の立ち合がなくても短時間で検査ができる安価な機器なので、診療所などに常置し、測定の結果を見て専門の精神神経科を紹介するといった使い方ができます。高齢化とともに増加が予想されるアルツハイマー病など認知症の有効な早期発見の手段として役立つと思います」と語る。
アバターの認証に挑む
また、2050年を目途に、身体、空間、時間など現実のさまざまな制約から解き放された社会づくりを目指す内閣府の「ムーンショット型研究開発」のプロジェクトに八木教授は参画。インターネット上の仮想空間で交流やビジネスが行われる「メタバース」などの場で、利用者が自分の身代わりとして遠隔操作する「サイバネティック・アバター(CA)」について、安全性、信頼性を確保するための本人認証の技術の開発に挑んでいる。「例えば、CA が利用者の知らぬ間に犯罪に加担してしまい、そのために利用者が損害を被ることが予想されます。常に利用者とCA が同一であることを認証する方法など、頑健な安全対策を検討しています。」
研究員としての初の課題は「大規模データ検索の高速化」で1998年に着手したが、当時はビッグデータという言葉すらなかった。その後も、工場の自動化に向けた予測の研究を始めると、ドイツで第4次産業革命をめざす「インダストリー 4.0」が提唱されるなど、結果的に時代のトレンドを先読みしたテーマに取り組んできた。
個人データを活用する
一方、八木教授は、大阪大学が文科省から受託したSociety5.0実現化研究支援事業「ライフデザイン・イノベーション研究拠点」の拠点本部長を務める。この拠点は、AIやビッグデータ解析などさまざまなデータを活用する科学技術のイノベーションにより、人間の生活を豊かにする社会(Society5.0)の構築をめざすもの。そのための試みとして、大学の学術研究のための個人情報を含むデータについて、個人情報保護法の規制をクリアして民間企業に提供し、製品開発など産学連携の研究を活性化する日本初の取り組みを続ける。
個人情報保護法では、大学の学術研究で得た医療関連などの個人を特定できる情報が入ったデータを、そのまま民間企業が使って、製品開発などに二次利用することができない、企業側が改めて本人に利用目的の変更内容を説明し同意を得ることが必要だ。
そこで、大学が提供した個人データを企業が利用する場合、その都度、企業側が直接、大学の研究室や被験者に電子メールを送り、変更内容を伝えて許諾の可否を求める「ダイナミックコンセント」の仕組みを研究拠点内で導入した。このようなデータの取引市場を試験運用し、有効性を検証している。八木教授は「付加価値の高い個人データは、その使い方によって、生活や産業のさまざまな場面で大きなイノベーションを生み出す重要な資産と考えられます。学術研究で得た貴重な個人データを民間企業に提供し、積極的に利活用できるデータ流通の仕組みをさらに拡充ししていきたい」と抱負を語る。
知的好奇心を満たすテーマで挑戦
八木教授は、大阪大学大学院基礎工学研究科を修了後、三菱電機の研究所に勤めた。そして阪大にもどって教員となり、2003年に産業科学研究所教授に就任。同研究所長、阪大の理事・副学長を歴任した。基本の研究テーマは、ロボットの目の役割をするコンピュータビジョンだが、その成果は多彩。開発した世界初の方式の360度見渡せる移動ロボットのセンサは、歩容の映像データベースづくりの要素技術となった。
八木教授は「知的好奇心を満たす楽しいテーマを選び、猪突猛進してきました。若い研究者も安全志向を見直し挑戦してほしい」とアピールしている。