研究成果のポイント
- 磁気デバイスの基盤構造において、貴金属とナノ磁石を積層させることにより、劣化した磁力の回復など磁性のコントロールができることを発見
- 磁気デバイスの性能向上を図るうえで、磁石の酸化に伴う特性の劣化は課題の一つとなっており、今回、白金(Pt)と積層させることで、Ptの触媒作用により磁石薄膜の磁力が回復することを確認
- 次世代半導体メモリ開発に向けて、酸化に弱いポストシリコン材料にも適用可能な革新的技術として期待
概要
大阪大学産業科学研究所の小山知弘准教授らの研究グループは、磁気デバイスの作製過程で劣化した磁石ナノ薄膜の性質を、貴金属の触媒作用により回復させることに成功しました。
スパッタリング※1で作製された磁石薄膜と酸化物の積層構造は、高性能磁気メモリの基盤材料として期待されていますが、酸化物を製膜する過程で磁石が酸化され、特性が劣化してしまうというデメリットが指摘されています。
今回、研究グループは、劣化し磁力を失った磁石ナノ薄膜を白金(Pt)と積層させることで、常温で水素ガスにさらすという温和な条件下でも磁力が回復することを発見しました。(図1)
Ptの強力な触媒作用により得られた本研究成果は、次世代半導体メモリの高速化や低消費電力化に向けて、ポストシリコン材料の弱点を補い、実用化に繋げる革新的なプロセス技術として期待されます。
本研究成果は、米国科学誌 『Applied Physics Letters』 (オンライン)に、7月2日(水)(現地時間)に公開されました。

近年の半導体デバイスは微細化が進むとともに構造が複雑化しており、酸化防止層の導入などにより作製中のダメージを未然に防ぐことが難しくなっています。それに対し本研究成果は、酸化により劣化してしまった磁石薄膜の性能を後から復活させる技術に繋がり、酸化に弱く加工が難しいポストシリコン材料の実用化を加速するものであると期待しています。今後は、触媒作用を活用した革新的なスピントロニクス材料の開発を行っていきたいと考えています。
研究の背景
磁石ナノ薄膜と酸化物の積層構造はスピントロニクス※2を代表する材料系です。最も有名なものは、酸化物を二つの磁石薄膜で挟み込んだ磁気トンネル接合素子※3であり、ハードディスクの読み出しヘッドや、電源を切っても情報が消えない“不揮発性”という特長を持つ、磁気ランダムアクセスメモリ(MRAM)として実用化されています。磁石と酸化物が成す界面に生じる特殊な電子状態を利用して、MRAMの高密度化・低消費電力化を目指す研究が盛んに行われています。これらの構造は主に量産化に適したスパッタリングによって作製されますが、酸化物との界面において磁石が酸化され、磁力が劣化してしまうことがしばしば指摘されています。MRAMなどの磁気デバイスのさらなる性能向上に向けて、磁石の酸化に伴う性能劣化は重要な課題です。
研究の内容
研究グループは、貴金属が持つ強い触媒作用に注目しました。酸化ダメージを受けた磁石/酸化物積層構造をPtと接合させることで水素還元反応が促進され、磁力を復活させることができるのではないかと考え実験を行いました。本研究では、Pt下地層の上に磁石としてコバルト(Co)薄膜、酸化物として酸化マグネシウム(MgO)を積層したPt/Co/MgO(Pt下地)構造を作製しました。その際MgO層を製膜する際のスパッタ電力を変化させることで、Co層への酸化ダメージを調整しました。作製した試料を水素ガスに暴露し(水素処理)、磁力の変化を調べました。

図2は、水素処理を行う前後で試料の磁力を測定した結果を示しています。処理前の試料では、磁界を変化させても磁力が見られず、これはスパッタリングに伴う酸化によりCoが磁力を失っていることを示しています。一方、水素処理した試料ではCo由来の磁力の存在を示す角型の履歴曲線が明瞭に現れており、失われた磁力が回復していることがわかりました。下地材料を金(Au)に変えたAu/Co/MgO(Au下地)構造を用いて同様の実験を行ったところ、水素処理による磁力の回復は観測されませんでした。Coの化学状態をより詳細に調べるために、X線光電子分光(XPS)※4測定を行いました。
図3はPt、Au下地試料におけるCoのXPSスペクトルを示しています。Au下地試料では水素処理の前後で酸化Coに対応するピークだけが見られるのに対し、水素処理後のPt下地試料では金属Coの存在を示すピークが確認されました。これは、Ptの強い触媒作用により酸化されたCoが元の金属Coへと還元されたことを意味します。上記の結果により、触媒作用という化学の力を利用して磁石の特性をコントロールできることが明らかになりました。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)
本研究成果は、酸化物のスパッタリングによって生じる薄膜磁石の性能劣化を、触媒を用いることで回復させるという、スピントロニクスにおける新しいプロセス技術の開発に繋がります。また、酸化による劣化がしばしば問題となる二次元材料などのポストシリコン材料にも応用可能であり、その実用化を加速させることが期待できます。さらに本成果は、スピントロニクスと触媒というこれまで交わることがなかった研究領域を融合させ、新たな学際領域を切り拓く先駆的な研究と位置付けられます。
特記事項
本研究成果は、2025年7月2日(水)(現地時間)に米国科学誌 『Applied Physics Letters』 (オンライン)に掲載されました。
タイトル:“Underlayer catalytic effect on hydrogen-induced modulation of ferromagnetism”
著者名: Tomohiro Koyama, Noriyuki Seki and Daichi Chiba
DOI:https://doi.org/10.1063/5.0275709
なお、本研究は、科研費挑戦的研究(萌芽)、JSTさきがけ、X-NICS、創薬等先端技術支援基盤プラットフォーム (BINDS)、スピントロニクス学術連携研究教育センター (CSRN)の支援を受けて行われました。
用語説明
※1 スパッタリング
薄膜形成方法の一つで、プラズマ化させた希ガス元素イオンを材料に衝突させ、はじき出された材料原子が基板上に付着することで薄膜が形成される。大面積に高速で製膜できるため量産性に優れている。
※2 スピントロニクス
電子が持つ「電荷」の自由度に加えて量子的な性質である「スピン」の自由度も利用することで、従来のエレクトロニクスでは実現できなかった機能を有するデバイスの実現を目指す研究分野。
※3 磁気トンネル接合素子
厚さ数ナノメートルの2つの磁石薄膜によって酸化物薄膜を挟み込んだ素子であり、酸化物が薄いためトンネル効果により伝導電子が酸化物を通り抜けることができる。この素子は2つの磁石のN, S極の方向に応じて抵抗が大きく変化するトンネル磁気抵抗効果を示し、MRAMや磁気センサに利用されている。
※4 X線光電子分光(XPS)
物質にX線を照射し、それにより放出される光電子を測定することで、物質表面の組成や化学状態(例えば酸化状態など)を調べる分析技術。元素ごとにX線の吸収エネルギーが異なることを利用して、複数の材料からなる多層膜であっても特定の元素の状態を同定することができる。
参考URL
小山知弘(こやま・ともひろ)准教授 研究者総覧
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja/22ced35d39b19933.html