ポイント
- 触媒ナノ粒子の表面構造や帯電状態は反応性に深く関与し、反応環境下でナノスケールかつリアルタイムで観察する技術の確立が強く求められてきた
- 高感度の電子線ホログラフィーと環境制御型透過電子顕微鏡法の組み合わせにより、実環境を模擬したガス雰囲気中(ガスが充満している状態)で触媒ナノ粒子の表面構造や帯電状態の変化を直接可視化
- 触媒材料の設計指針に新たな視点をもたらし、持続可能なエネルギー変換技術や脱炭素社会の実現に向けた次世代触媒の開発に貢献することに期待
概要
金属ナノ粒子触媒は、持続可能なエネルギー変換技術や脱炭素社会の実現に貢献する重要な材料です。これらの触媒における反応活性は、その表面構造や帯電状態に大きく依存することが知られていましたが、実際の反応環境下におけるナノスケールでの挙動についての理解は依然として不十分でした。
九州大学大学院工学研究院の麻生亮太郎准教授、村上恭和教授、佐野弘貴氏(博士前期課程)、九州大学超顕微解析研究センターの玉岡武泰助教(現:株式会社東レリサーチセンター)、大阪大学産業科学研究所の吉田秀人准教授、九州大学大学院総合理工学研究院の永長久寛教授、北條元准教授、大阪大学大学院情報科学研究科の御堂義博特任准教授(常勤)、株式会社日立製作所研究開発グループの谷垣俊明主管研究員らの研究グループは、高感度の電子線ホログラフィー※1と環境制御型透過電子顕微鏡法※2を組み合わせた手法により、実環境を模擬したガス雰囲気中で、酸化セリウム(CeO2)に担持(付着)した金(Au)ナノ粒子触媒の表面構造と帯電状態の変化を直接観察することに成功しました。観察の結果、酸素ガス導入時にAuナノ粒子表面が乱れ、負帯電が正帯電側へ変化することを発見しました。この変化は、ガスの導入と除去により可逆的に起こることから、表面構造と帯電状態の制御が可能であることを実証し、触媒設計の新たな指針を提示するものです。
本研究成果は、触媒表面における構造変化と帯電状態の関係を実時間・実空間で評価する新たな手法であり、次世代高性能触媒の設計への応用に貢献すると期待されます。今後は、より複雑な反応系や複数ガス環境下での動的挙動の解明が見込まれます。
本研究成果は、ドイツ科学誌「Advanced Science」オンライン版に2025年7月11日(金)午前6時(日本時間)に掲載されました。

研究の背景と経緯
持続可能な社会の実現に向けて、エネルギーを有効に活用し、環境への負荷を低減することは、地球規模で解決すべき重要な課題となっています。その中で、化学反応の効率を飛躍的に高める「触媒技術」は、温暖化対策やエネルギーの安定供給を支える基幹技術として、国内外で大きな注目を集めています。とりわけ、金属ナノ粒子を用いた触媒は、脱炭素社会の基盤となる水素製造や燃料電池、自動車排出ガス処理、二酸化炭素(CO2)回収などの分野で中核的な役割を果たしています。
触媒反応の本質を理解し、次世代の材料設計に生かすには、「実際の反応環境で触媒がどう変化するのか」を明らかにする必要があります。特に、触媒ナノ粒子の表面構造や帯電状態の変化といった微視的現象は、反応活性や選択性といったマクロな性能を左右する核心をなす要素です。しかしながら、従来の分析手法では、触媒が反応している「実環境下」(反応ガスが存在している状態、反応ガス雰囲気中)で、そのナノ構造や電子状態をリアルタイムかつ高精度に捉えることは極めて困難でした。通常の透過型電子顕微鏡(TEM)では、真空環境でしか観察できず、反応中の状態とは乖離してしまうという課題がありました。
研究の内容と成果
こうした背景のもと、九州大学、大阪大学、日立製作所からなる研究グループは、触媒ナノ粒子の構造および帯電状態を、触媒の実際の使用環境を模擬した酸化還元雰囲気下(酸化反応、あるいは還元反応を起こすガスが存在している状態)で、ナノスケール・単一粒子レベルで直接観察することに成功しました。これは、高感度の電子線ホログラフィーと環境制御型透過電子顕微鏡法(ETEM)(図1)を融合させた新たな観察手法によって実現されたものであり、従来技術では把握しきれなかった表面構造と帯電状態の関係を明らかにした点で画期的な成果です。
本研究成果は、研究チームがこれまでに取り組んできた電子線ホログラフィーの位相※3計測精度の向上に関する基礎研究の延長線上に位置づけられます。従来、ナノ粒子の帯電状態を高精度に計測するには、ホログラム※4の像質が極めて重要でした。この課題に対し、世界最高水準の電子の干渉性・平行性を備えた日立製作所の1.2メガボルト(MV)原子分解能・ホログラフィー電子顕微鏡を用いるとともに、ウェーブレット隠れマルコフモデル※5に基づく独自のノイズ除去技術を開発し、電子線ホログラフィーの位相計測精度を従来比で1桁向上させることに成功しました(Science誌に2022年発表)。この技術により、酸化チタン(TiO2)に担持した白金(Pt)ナノ粒子1個ごとの電荷量を「電子1個の精度」で計測することが可能になりました。
今回の研究では、こうした電子線ホログラフィー計測技術の高感度化を発展的に活用し、CeO2上に担持されたAuナノ粒子触媒における酸化還元雰囲気下での帯電状態と構造変化を「その場」でリアルタイム観察することを実現しました(図2)。酸化雰囲気として酸素ガスを導入した時には、Auナノ粒子表面で原子配列の乱れが進行し、同時に負に帯電していた粒子が数電子単位で正帯電へと変化する様子が捉えられました(図3)。この変化は可逆的であり、ガスの導入と除去によってAuナノ粒子の表面構造と帯電状態を制御できる可能性が示唆されました。一方、還元雰囲気として水素ガスを導入した場合には、真空中と比較して構造や帯電状態にほとんど差異は見られず、有意な変化は確認されませんでした。
このように、本研究成果は単なる構造観察にとどまらず、反応場での電荷のゆらぎを「その場」でかつ「ナノ粒子レベル」で定量的に捉えることに世界で初めて成功した成果です。これは、触媒反応の本質的理解と材料設計の合理化に直結する画期的なブレークスルーであると言えます。
今後の展開
本研究成果は、触媒の微視的な構造変化と電荷のゆらぎを、実時間・実空間・実環境下で同時に観察できる新たな研究基盤技術の確立を意味しており、今後の材料設計手法に根本的な変革をもたらす可能性を秘めています。今後の展望としては、複数のガスが同時に作用する実用的な反応環境への応用を進め、実環境を模擬したガス雰囲気中における動的解析技術のさらなる高度化を目指します。これにより得られる知見をもとに、帯電状態の制御による反応選択性の向上や活性点の設計指針の構築を行い、高効率な触媒材料の開発と実用化を推進します。こうして設計・開発された触媒技術は、CO2排出削減や大気環境の改善といった社会的課題の解決に貢献することが期待されます。さらに、本技術は触媒分野にとどまらず、全固体電池や燃料電池、センサー素子、量子デバイスなど、多様なナノ材料科学分野への応用が可能であり、次世代機能性材料の研究開発に新たな道を切り拓くものといえます。



※1 電子線ホログラフィー
透過電子顕微鏡法(TEM)の一種。通常のTEMは、試料の形状、大きさ、結晶方位などの構造的な情報を与える。これに対して電子線ホログラフィーは、試料を透過する電子波の位相(※3)の解析を通して、その根源となる静電ポテンシャルや磁束密度など、電場・磁場に関わる情報を与える。
※2 環境制御型透過電子顕微鏡法
環境制御型透過電子顕微鏡法(ETEM)は、通常のTEMの観察能力に加え、試料を特定のガス環境下で観察できるように設計された電子顕微鏡を用いた観察手法である。通常のTEMでは高真空下での観察に限定されていたため、触媒や電池材料などの「反応中の本来の姿」を観察することが困難であった。ETEMでは、顕微鏡内部に反応性ガス(酸素、窒素、水素など)を導入することが可能であり、材料が実際の動作環境下において示す構造変化をナノスケールでその場で観察できる点が大きな特徴である。
※3 位相(電子波の位相)
波としての性質を持つ電子(電子波)の状態は、「振幅」と「位相」をもとに表現することができる。通常のTEMでは、原理的に、振幅の情報しか得ることができない。これに対して電子線ホログラフィーでは、電子波の干渉パターン(後述するホログラム※4)の解析をもとに、振幅と位相、両方の情報を取得できる。試料を透過した電子波の位相は、上記の通り、試料の電場や磁場に応じた変調(位相変化)を被る。従って、位相の解析をもとに、電子顕微鏡で観察する局所領域の電場・磁場の情報を得ることができる。
※4 ホログラム
試料を透過した電子波(物体波)と、試料の外側(真空)を通過した電子波(参照波)を干渉させた際に観測される電子の強度分布(干渉パターン)。画像データとして取得されたホログラムを解析することで、物体波の位相変化を決定できる。位相変化を精度よく解析するためには、ホログラムの像質(干渉縞の鮮明度)を十分に高めることが重要となる。この位相解析精度の向上において、後述するウェーブレット隠れマルコフモデルなど、情報科学的手法との接点が生じる。
※5 ウェーブレット隠れマルコフモデル
画像データに対するノイズ除去技術の一つ。ウェーブレット変換を利用した旧来の手法では、画像データのノイズを除去する際に、微弱な信号も失われるという問題があった。一方で、画像データのウェーブレット変換では、「信号としての特徴を持つ画素(ピクセル)は、変換後の相当画素にも、その特徴が受け継がれる」という傾向がある。この傾向を複数の確率変数(マルコフパラメ-タ)で表し、同パラメータの最適化を通して信号とノイズの的確な分離を行う技術を独自に整備した。パラメータの記述にあたって「隠れ状態」という確率論・統計論的な概念を参照していることから、この手法を「ウェーブレット隠れマルコフモデル」と称する。
謝辞
本研究成果は、JSPS科研費 (JP21H04623, JP23K21080, JP24H02205, JP25H01981, JP25H00804)、JST創発的研究支援事業「環境制御技術による表界面ナノ構造評価」(JPMJFR235N)、風戸研究奨励賞(研究費助成)、物質・デバイス領域共同研究(基盤共同研究)の助成を受けたものです。
論文情報
掲載誌:Advanced Science
タイトル:Direct Visualization of Surface Structure and Charge States of Ceria-Supported Gold Catalysts Under Redox Conditions
著者名:Ryotaro Aso, Takehiro Tamaoka, Hideto Yoshida, Hajime Hojo, Hiroki Sano, Yoshihiro Midoh, Hisahiro Einaga, Toshiaki Tanigaki, Yasukazu Murakami
DOI:10.1002/advs.202508554