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研究成果

スピンの集団運動で熱の流れを操る新しい手法を実証~磁性体による革新的な熱輸送制御技術へ一歩前進~

NIMS、東京大学、産業技術総合研究所、大阪大学、東北大学の共同研究により、磁性体中のスピンの集団運動の準粒子「マグノン」の輸送を制御する新しい手法を提案し、強磁性金属中でマグノンが従来考えられていた以上に熱伝導に大きく寄与することを実証しました。磁性体を利用した新たな熱伝導制御原理の創出や技術の開発につながることが期待されます。この研究成果は、2025年10月1日にAdvanced Functional Materials誌に掲載されました。

研究成果の概要

従来の課題

 熱伝導率は固体中で熱がどれだけ効率よく伝わるかを表す指標です。この熱の担い手(熱キャリア)は、金属では電子、半導体や絶縁体では格子振動の準粒子であるフォノンが主役とされています。現在の熱工学では、熱キャリアの輸送特性を解明・制御することで熱伝導率や界面の熱抵抗を制御する取り組みがあり、特にフォノンの輸送・散乱に着目した熱伝導制御はフォノンエンジニアリングと銘打たれて数十年にわたって盛んに研究されています。電子・フォノン以外の熱キャリアの寄与も存在しますが、ほとんどの物質ではその寄与は非常に小さく、観測できたとしても極低温といった極限環境に限られることから、無視されることがほとんどでした。

成果のポイント

 今回、研究チームは、コバルト鉄合金(CoFe)やニッケル鉄合金(NiFe)といった強磁性金属薄膜と絶縁体を積層させた単純な構造において、磁性体のスピンの集団運動の準粒子「マグノン」の輸送を利用・制御することで熱伝導を制御できることを明らかにしました。強磁性金属で生成されたマグノンが絶縁体内に伝搬する状況では(図1(a))、しないとき(図1(b))に比べて、室温でも強磁性金属薄膜の熱伝導率が上昇し、金属/絶縁体接合の界面熱抵抗は数分の1にまで減少することが分かりました(図1)。これは、電子が支配的な熱キャリアである金属でも、マグノン輸送を適切に制御した熱伝導エンジニアリング(マグノンエンジニアリング)が可能であることを示す結果であり、室温下や金属中ではマグノンの熱伝導への寄与は小さいという固定観念を塗り替えるものです。

図1:強磁性金属/磁性絶縁体(a)と強磁性金属/非磁性絶縁体(b)接合におけるマグノンによる熱伝導制御の概念図。 マグノンが界面透過できる際には透過できないときに比べて強磁性金属の熱伝導率が上昇、界面熱抵抗が低下する。

将来展望

 今後は、本成果をもとに、さらなる物理的起源の解明や、マグノン輸送を外場で制御した熱伝導率スイッチなどといったマグノンエンジニアリングに基づいた新たな熱制御技術の創成を目指します。

その他

 本研究は、NIMS 磁性・スピントロニクス材料研究センター スピンエネルギーグループの平井孝昌主任研究員、森田利明研修生(兼 大阪大学 産業科学研究所 博士課程学生)、内田健一上席グループリーダー(兼 東京大学 大学院新領域創成科学研究科 物質系専攻 教授)、産業技術総合研究所 物質計測標準研究部門 熱物性標準研究グループの八木貴志研究グループ長、東京大学 大学院工学系研究科 附属総合研究機構の塩見淳一郎教授、大阪大学 産業科学研究所の千葉大地教授(兼 東北大学 国際放射光イノベーション・スマート研究センター センター長)らの研究チームによって、JST 戦略的創造研究推進事業 ERATO「内田磁性熱動体プロジェクト」(研究総括:内田健一、課題番号:JPMJER2201)、JSPS 科学研究費助成事業 基盤研究(S)(22H04965)、研究活動スタート支援(22K20495)の支援のもと行われました。

 本研究成果は、2025年10月1日にAdvanced Functional Materials誌にオンライン掲載されました。

研究の背景

 熱工学において、熱エネルギーの移動「熱輸送」を制御・活用する技術や理論の発展は、電子機器、産業、建築、化学プロセス、環境技術など幅広い分野において重要な事項です。熱伝導は、最も基本的な熱輸送現象の1つであり、物質中で熱が高温側から低温側に移動することを指し、その指標は熱伝導率と呼ばれます。熱伝導率の制御は、エネルギーの効率的な利用と電子機器の信頼性確保において非常に重要です。集積化された電子機器では、過剰な発熱が性能低下や故障を引き起こすため、熱を効率よく逃がす材料や設計が必要です。一方で、断熱材のように熱伝導を遮断する技術の発展も、ヒーターを内蔵するデバイスの省エネルギー化などに直結します。
 これまでの熱輸送研究は、熱伝導の寄与を、電子と、結晶格子の振動の準粒子※1である「フォノン」の2つに大別して検討してきました。ただし、制御の観点では、金属中における支配的な熱キャリアである電子は電気の輸送も担い、電気伝導特性を変えずに熱伝導率を制御することは困難です。そのため、半導体や絶縁体における支配的な熱キャリアであるフォノンの輸送・散乱を利用した熱伝導率制御がフォノンエンジニアリングと銘打たれて数十年来の研究対象とされてきました。一方で、準粒子はフォノン以外にも存在します。例えば、磁性体中のスピンの集団運動の準粒子「マグノン」※2も熱伝導に寄与するという報告例はありましたが、室温ではマグノンは熱伝導にほとんど寄与せず、極低温や特殊な物質といった限定的な条件下でのみ現れるもの、という認識で、マグノンを利用した熱伝導制御原理は確立していない状況でした。

研究内容と成果

NIMSを中心とする研究チームは、ナノメートル(10億分の1メートル)スケールでのマグノンによるスピン流※2の輸送を制御することで、強磁性金属薄膜の熱伝導率や金属/絶縁体界面の界面熱抵抗※3を変調できることを明らかにしました。
強磁性金属薄膜(CoFeやNiFe)とガーネット※4系絶縁体から成る積層構造を作製し、室温下で時間領域サーモリフレクタンス※5(図2(a))という手法を用いて、薄膜表面をレーザーで瞬時に加熱しながらナノメートルスケールや界面での熱輸送特性を精密に評価しました。

  • 強磁性金属表面が加熱されると、内部にスピン流が生じます。このスピン流は磁性絶縁体が接合している場合には絶縁体内部まで伝搬しますが、非磁性絶縁体が接合している場合には絶縁体中にスピン流は注入されません。
  • 上記のようにスピン流にとっての界面条件を変えた際に、信号が明瞭に変化することが分かりました(図2(b))。今回のケースでは信号が下がっているほうが、レーザーで加熱した表面が速く冷めていることを示しています。具体的には、磁性絶縁体に接合しているほうが、強磁性金属の熱伝導率が増加することや界面の熱抵抗が減少することに対応しており、電子やフォノンの寄与だけでは説明できない現象です。
  • 例えばNiFe薄膜の場合は、非磁性絶縁体(図中灰色で表記)に接合しているよりも磁性絶縁体(図中緑色で表記)に接合しているほうが、熱伝導率が20 %程度高くなり、磁性絶縁体に接合させた際の界面熱抵抗は、金属/金属界面の界面熱抵抗に匹敵するほどの値まで改善できることが分かりました(図2(c))。
  • 強磁性金属の組成依存性や、強磁性金属と磁性絶縁体界面に非磁性金属である銅を挿入する実験を通して、この熱伝導率変化の起源が、マグノンによるスピン流によるものであることを明らかにしました。
  • 金属など電子が支配的な熱キャリアである場合はフォノンの寄与が小さいため、フォノンエンジニアリングの対象とされることがあまりありませんでした。本成果は、マグノンスピン流の界面輸送を制御することで、室温下や金属中でも熱伝導を制御できることを示す結果であり、極低温や特殊な物質でしか着目されてこなかったマグノンの熱伝導制御への応用可能性を拓くものです。

 

図2:NiFe/GGG構造とNiFe/YIG構造における、時間領域サーモリフレクタンスの概念図(a)と計測結果(b)。(c)NiFeの熱伝導率とNiFe/GGG or YIGの界面熱抵抗。ここで、YIGは Y3Fe5O12:イットリウム鉄ガーネット磁性絶縁体、GGGはGd3Ga5O12:ガドリニウムガリウムガーネット非磁性絶縁体を表している。

今後の展開

 輸送物性科学の歴史では、新しい要素や駆動力が導入されることで大きな研究転換が起こってきました。過去には、エレクトロニクスにスピンという要素が加わることでスピントロニクスという学理が誕生し、ノーベル賞を受賞するほどの影響を社会に与えた輸送現象が発見されるまでに至った例もあります。熱伝導制御のツールとしてマグノンにスポットライトを当てた本成果は、従来のフォノンエンジニアリングとは一線を画する新たな熱輸送制御原理「マグノンエンジニアリング」を生み出す可能性を秘めています。今後は、本研究によって得られた知見や材料設計指針をもとに、マグノン輸送や散乱を自在に制御して、ナノデバイス冷却用途のための放熱材料や断熱機能の開発、アクティブに熱伝導率をスイッチできる機能などの創成を目指します。

掲載論文

題目:Non-Equilibrium Magnon Engineering Enabling Significant Thermal Transport Modulation

著者:Takamasa Hirai, Toshiaki Morita, Subrata Biswas, Jun Uzuhashi, Takashi Yagi, Yuichiro Yamashita, Varun Kumar Kushwaha, Fuya Makino, Rajkumar Modak, Yuya Sakuraba, Tadakatsu Ohkubo, Rulei Guo, Bin Xu, Junichiro Shiomi, Daichi Chiba, and Ken-ichi Uchida

雑誌:Advanced Functional Materials

DOI:10.1002/adfm.202506554

掲載日時:2025年10月1日

 

用語解説

※1  準粒子
物質中の集団的な振る舞いや複雑な相互作用を、単独の自由粒子として特徴付けた仮想的な粒子です。例えば、固体中の電子はそれ自体は単一の粒子(素粒子)ですが、周囲の原子や他の電子と強く影響し合い、その影響をまとめて電子準粒子として表現します。他にも、光子(フォトン)に由来した光子準粒子や、結晶格子の振動を表すフォノン、スピンの波を表すマグノンなどが存在します。

※2  マグノン、スピン流
マグノンは固体中の磁気スピンの集団的な揺らぎ(波)の準粒子です。磁性体ではスピンが秩序立って並んでいますが、そこにスピンの波が生じると、この波がスピン角運動量を運ぶ「スピン流」として振る舞います。マグノンによるスピン流以外にも、金属や半導体中では伝導電子によってスピンの情報を伝搬させる伝導電子スピン流も存在します。スピン流はスピントロニクスの重要な要素であり、電子の電荷や電流ではなくスピンを使った新しい情報処理技術の開発などが期待されています。

※3  界面熱抵抗
異なる物質同士の接触面において熱が伝わる際の抵抗のことを指します。異種材料の界面では熱キャリアの散乱やミスマッチが生じ、熱流がスムーズに伝わらなくなります。その結果、界面をまたぐときに温度差が生じ、この温度差を単位熱流で割った値が界面熱抵抗です。特にナノ材料、薄膜デバイス、高密度集積回路など、界面が支配的な熱輸送現象では、界面熱抵抗は全体の熱設計を左右する重要な要素となります。

※4  ガーネット
A3B2(CO4)3またはA3B5O12(A, B, Cは金属や半金属元素、Oは酸素)で表されるガーネット構造と呼ばれる立方晶の結晶構造を持つ酸化物材料群を指します。光通信や光デバイスなどで重要な材料とされており、磁性を有するガーネットはマイクロ波デバイス、磁気工学記録媒体などにも利用されています。

※5  時間領域サーモリフレクタンス法
ナノ秒(10億分の1秒)やフェムト秒(1000兆分の1秒)といった超短パルスレーザーを用いて物質表面を局所的・瞬時に加熱し、その後の表面反射率の時間変化を計測することで、熱伝導率や界面熱抵抗といった熱輸送物性を非接触・高精度に測定する技術です。反射率は温度依存性を持つため、加熱後の反射率変化の時間応答を解析することで、物質内部での熱拡散過程を追跡できます。ナノ材料、薄膜、複合構造など、従来の接触型測定では困難な微細構造の熱輸送特性評価において特に重要な手法とされています。