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深層ニューラルネットワークでノイズをクリアに -電子スピン量子ビット状態の高精度推定に成功-

発表のポイント

・ノイズを多く含む単一電子スピンの測定信号から量子ビットの状態を高精度に推定する機械学習技術を開発
・測定環境ごとに異なる特徴的なノイズに対応する推定アルゴリズムの探索を単純化
・量子コンピュータ実現の課題である集積化された量子ビットの読み出しに期待

概要

 大阪大学産業科学研究所大学院生の松本雄太さん(博士後期課程)、藤田高史助教、大岩顕教授(兼 量子情報・量子生命研究センター)らの研究グループは、ノイズを多く含む測定信号から高精度にスピン量子ビット※1状態を推定可能な機械学習手法を開発しました。

 量子ドット中のスピン状態の高精度な読み出しは半導体スピン量子コンピュータ※2の実現のために必要不可欠な要素です。また測定信号がノイズと比べて小さい測定環境での高精度で高速な読み出しの実現は、集積された量子ビットの読み出しの観点で急務となっています。従来のステップ検出アルゴリズム※3等では、実験下の様々な種類のノイズに対して最適なフィルターを見つけることが困難でした。

 今回、藤田高史助教らの研究グループは様々な種類のノイズが混在する状況でのスピン量子ビットの状態の推定を深層ニューラルネットワーク(DNN)※4によって行う手法を開発しました。実測するスピン量子ビット(図1左)から学習データを生成し、学習させることで、自動的に量子ビットの環境に応じた推定アルゴリズムの構築を実現しました。学習済みの深層ニューラルネットワークを量子ビット状態の推定に適用し、スピン緩和測定※5に適用した結果(図1右)、信号ノイズ比が小さい場合でも従来の閾値処理法より高い精度を保つことを実証しました。

 本研究成果は、英国科学技術誌「npj Quantum Information」に、2021年9月9日に公開されました。
 

研究の背景

 量子コンピュータの実現の為の必要不可欠な要素として99%以上の精度での量子ビット読み出しが挙げられます。そのためには読み出しを行う観測装置や、量子ビットを担う量子ドット構造ごとの不確定なノイズを考慮して、測定信号から量子ビット状態を推定する必要がありました。しかし従来の推定アルゴリズムでは調整できるパラメーター数が少なく、多数の量子ビットそれぞれに適応した高精度の推定はできませんでした。

 藤田高史助教らの研究グループでは、DNNによるディープラーニングによって、量子ドット※6の置かれている異なるノイズ環境下において(図1左の1,3,4番目の量子ドット)、電子スピン量子ビットの最適な読み出しを可能にする手法を考案しました。

 デバイスから得られる測定信号は、センサーから反射される電圧振幅の時系列データです。この時系列データを数値処理することでステップ信号の有無を判別し、それぞれ単一の下スピンあるいは上スピンとして量子ビット状態を推定します。ステップ信号が現れる頻度には量子ドット毎のトンネルレート※7が関わっており、場所によって信号強度のばらつき、ノイズ強度、特性が異なります。実験下においては、電子が量子ドットを出入りして電荷移動が繰り返し発生する状態を意図的に作り出すことで取得した時系列データから学習することで、推定精度の向上に成功しました。さらに、スピン状態を推定する手法を未知のスピン状態に対する緩和測定に適用することによって、ノイズを多く含む状況下においてもスピンの推定精度の向上ならびにロバスト性の確保に成功しました(図1右)。

図1 図2

  図1 左:量子ドットデバイスのSEM写真      右:D N Nと閾値処理によるスピン緩和測定の様子

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

 本研究で得られた結果はDNNがセンサーの時系列信号という入力から量子ドット内外へのトンネル現象という背景の物理現象や、実験下での特徴的なノイズの特性を理解した最適なフィルターを形成していることを示唆しており、今後読み出しの高速性や検出範囲の広いセンサーへの応用から、スピン量子ビットの集積化がいよいよ進む可能性があり、半導体量子コンピュータ開発に貢献することが期待されます。

特記事項

本研究成果は、2021年9月9日(火)に英国科学誌「npj Quantum Information」(オンライン)に掲載されました。
タイトル:"Noise-robust classification of single electron spin readouts using a deep neural network"
著者名:Yuta Matsumoto, Takafumi Fujita, Andreas Wieck, Arne Ludwig, Kazunori Komatani, and Akira Oiwa

DOI: https://doi.org/10.1038/s41534-021-00470-7

用語説明

※1 スピン量子ビット状態:単一電子スピンの↑スピン、↓スピン量子状態を、量子ビットの0状態、1状態に対応させたもの

※2 半導体スピン量子コンピュータ:万能量子計算方式の実現を目指しており、Intelや日立が取り組んでいる、10^6量子ビットの集積化を見込む半導体をベースとしている。他方には超伝導量子ビットをベースとした、量子アニーリング方式等がある。

※3 ステップ検出アルゴリズム:↓スピン状態が量子ドットから読み取られた場合、センサー(図1左)から得られる測定信号にはステップ状の電圧形状が現れる、この形状を検出するための計算手法

※4 深層ニューラルネットワーク(DNN):人間の脳神経回路(ニューラルネットワーク)の数式モデルを多層化し、多様な特徴の抽出を可能にしたもの。Deep Neural Network。

※5 スピン緩和測定:↓スピン状態が↑スピン状態へとエネルギー緩和する物理過程の測定

※6 量子ドット:半導体中の電子または正孔を0次元に閉じ込めた領域

※7 トンネルレート : 量子ドットの内外へ電子が行き来する速度の統計量を表したもの

コメント

 本研究は本所産業科学AIセンターの駒谷教授との共同研究による成果です。量子実験の分野に機械学習を導入することで、新たな領域への拡張が示された成果になります。院生の発想から導入を果たしたこともあり、本センターのAI教育の一環としても良い例になったと思います。