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量子コンピュータで1分子識別に成功 ―ゲノム解析を超高速化する第一歩―

研究成果のポイント

・量子コンピュータ※1を用いて、1分子計測データからピンポイントで分子の場所を見つけられる1分子識別に成功
・これまで1分子計測データと量子コンピュータを結びつける方法はなかったが、1分子計測データを解析する量子ゲート※2をデザインすることで可能にした
・1分子識別による超高速ゲノム解析の実現で、がんなどの疾病診断、感染症診断、創薬を大きく革新

概要

 大阪大学産業科学研究所の谷口正輝教授と九州大学エネルギー教育機構の多田朋史教授の研究グループは、量子コンピュータを用いて、1分子計測データから1分子識別することに成功しました。  量子コンピュータは、未来社会において、大量データの超高速計算を可能にすると期待されており、近年飛躍的に発展しています。量子コンピュータはまた、重要な大量データの1つと言われるゲノム計測データも計算・処理し、ゲノムに基づく個別化医療や創薬の現場を革新すると予測されています。特に医療現場においては、ゲノム解析の超高速化により、がんなどの疾病診断、次々に変異するウイルスの同定、創薬を飛躍的に革新することが期待されています。しかしながら、これまでDNAシークエンサーと量子コンピュータを結びつける手法が開発されていませんでした。  今回、研究グループは、1分子計測データの物理法則を満たす量子ゲートをデザインすることにより、量子コンピュータを用いて、1分子計測データから、DNAを構成する塩基分子を1分子レベルで識別することに成功しました。本研究成果は、量子コンピュータを用いた超高速ゲノム解析の第一歩であり、この一分子識別の技術は量子コンピュータの発展とともにさらに進化すると期待されます。  本研究成果は、米国科学誌「Journal of Physical Chemistry B」に、7月20日(木)(日本時間)に公開されました。

図1

図1 量子コンピュータを用いた1分子識別のイメージ図

研究の背景

 国内外で飛躍的な進化を続ける量子コンピュータは、超高速計算を可能にすると期待されています。これまで、高速に因数分解するショア・アルゴリズムや、大量データのなかから最適な答えを探索するグローバー・アルゴリズムなどが見つかっています。
 重要な大量データの1つに、DNAのゲノム計測データがあります。医療の現場においては、ゲノム計測データの超高速解析による、がんなどの診断、変異し続けるウイルスの同定や創薬などへの貢献が期待されています。最近では、メチル化シトシンに代表される化学修飾塩基分子※3が疾病マーカーや遺伝子機能のスイッチになることが明らかにされています。次々に発見される化学修飾塩基は、4種類以上の多種塩基を解析する時代の到来を意味しています。  1分子計測に基づく第5世代シークエンシング技術※4は、化学修飾塩基を1分子レベルで識別できますが、塩基種の増加は計測データと解析時間の急激な増加を伴います。その1つの解決法が、第5世代シークエンサーと量子コンピュータの融合です。大量データの検索を得意とするグローバー・アルゴリズムを適用するには、1分子計測データの物理法則を満たす量子ゲートをデザインしなければなりません。しかし、これまで、このような量子ゲートは見つかっていませんでした。

図2

図2 第5世代シークエンサーによる測定

研究の内容

 研究グループでは、これまで、1分子計測で得られる電気伝導度※5を量子化学の位相で予測するルールを研究してきました。この位相を用いたルールは、分子ごとに違っており、1分子中の元素と電極の接合の仕方により、電気伝導度の大小を予測できます。したがって、位相を用いたルールを満たす量子ゲートに、電流計測データを入力すると、分子種固有の電極との接合様式を決定することができます。その結果、電流計測データから1分子を識別することができます。今回は、遺伝子に含まれるDNAやRNAなどを構成する物質であるアデニン※6の量子ゲートをデザインし、IBMが提供する量子コンピュータIBM-Qに実装しました。アデニン、シトシン、グアニン、チミンの1分子計測データを量子コンピュータに入力したところ、アデニンが高い精度で識別されました。

本研究成果が社会に与える影響(本研究成果の意義)

 本研究成果により、量子ゲートを用いる量子コンピュータと、第5世代シークエンサーの融合研究の推進が期待されます。量子コンピュータによる超高速ゲノム解析は、現行の手法では難しいがんの早期発見、判断が難しい難病や希少疾患の迅速診断、ゲノムに基づく創薬などを革新すると期待されます。

特記事項

本研究成果は、2023年7月20日(木)(日本時間)に米国科学誌「Journal of Physical Chemistry B」(オンライン)に掲載されました。 タイトル:"Single-Molecule Identification of Nucleotides Using a Quantum Computer" 著者名:Masateru Taniguchi, Takahito Ohshiro, and Tomofumi Tada DOI:https://pubs.acs.org/doi/10.1021/acs.jpcb.3c02918
なお、本研究は、JST戦略的研究推進事業CREST研究、科学研究費補助金・基盤研究(A)、基盤研究(B)の一環として行われました。

用語説明

※1 量子コンピュータ:
量子力学の法則を利用して、複雑な問題を解くコンピュータ。
従来型のコンピュータよりも短い時間で解くことができる。

※2 量子ゲート:
量子コンピューティングを構成する基本演算要素。
量子状態にある素子の振る舞いや組合せで計算回路を作る要素。

※3 化学修飾塩基:
DNAを作る塩基が、化学修飾されたもの。下図のように、シトシンの1個の水素原子が、1個の炭素と3個の水素に置き換わったメチル化シトシンは、がんマーカーとして有名。

図3



※4 第5世代シークエンシング技術:
1分子を流れる量子力学的な電流(トンネル電流)計測により、DNA・RNAの塩基配列や、ペプチドのアミノ酸配列を読み出す技術。トンネル電流は、1分子固有のわずかな電子的な違いを読み出すため、化学修飾された塩基やアミノ酸も読み出す。

※5 電気伝導度:
電気抵抗の逆数。

※6 アデニン:
DNAとRNAを作る塩基の1つ。DNAは、アデニン、シトシン、グアニン、チミンから作られる。RNAは、アデニン、シトシン、グアニン、チミンから作られる。




谷口教授のコメント

 量子計測技術である第5世代シークエンサー技術と、量子コンピュータは、ともに量子を扱うので相性が良く、また人類の重要なビッグデータの1つであるゲノムデータの解析には組合せ爆発が生じます。そのため、ゲノム解析は、量子コンピュータのキラーアプリケーションになると予測されます。量子コンピュータで超高速ゲノム解析ができれば、現在より短期間(もしくは短時間)でゲノムに基づく革新的な診断法の開発や創薬が期待され、医療の発展に大きく貢献できると考えています。

参考URL

谷口正輝教授 研究者総覧URL
https://rd.iai.osaka-u.ac.jp/ja//97549af6bd6f5e89.html?k=谷口正輝

谷口研究室URL
http://www.bionano.sanken.osaka-u.ac.jp/